ちょっと言い方を選ばないで率直に言うと。
一般常識のマジョリティから外れることなので親族が心配します。
自分の場合大学にだけは行きたかったので大学に行く道が途絶えたと思うと絶望が大きかったです。
まず学校に行かないと周りで何が起こるのかを、お話します。
母親がとくに心配する
たったこれだけです。ただ、これだけが、本当に乗り越える必要がある。最重要課題。
これさえ克服することができれば、あなたは晴れてノンスクールライフの始まりを迎えられます。
実はこれは学校に行ってる人も同じくらい心配されているのです。
「次は〇〇高を受験しなさい。」とか、「イジメられてないか」
とか心配は尽きないんです。
母親の心配は善意です。
教育委員会が口ずっぱく言う「強制」という言葉。
善意ですべてを強制しようとする母親の言葉を具現化して表して使っているのではないかと思っています。
あれやった?これやった?勉強した?宿題した?
ごはん食べなさい。寝なさい。学校行きなさい。
実はこれ、「乗り越える必要がある」と言ったのですが、嘘になります。
乗り越えられるわけないんです。尽きることないんです。不安は。
付き合っていくしかない、と言うべきか。
母親の心配に屈することなくプレッシャーを感じることなく、自分の道を歩むことができるようになれれば。
それこそが乗り越えたときだと言ってもいいのではないかと思います。
勉強は家でもできる
ちょっとハッキリと言わせてもらいますと。
30人で黒板を見つめてひとりの先生が教える学校のシステム。
非常に効率が悪いですよね。
一学年上の人なら1個下の子に勉強を教えることなんて造作も無い。
塾やフリースクールに通えばいいし、友達と遊びまくればいい。
じゃあなんで学校があるの?
言いなりになるバカを量産するため
政府の都合のいい人間を量産して軍事利用してた国だから当たり前です。
「軍事利用」「都合がいい人間」
だってそうでしょう、さも当然、上に立つ人間にとっては「やれ」と言ったら「やる」人が求められてるわけですから。
政権派閥争い見ててもレベルが底知れてるわけで、戦争してたときからこの考え方が変わってないから。今もその続きをやらされているわけです。
自分だけのスキルを磨く
学校を拒絶したあなたへのプレッシャーは計り知れないと思います。
たぶんそのプレッシャーに耐えた経験は社会に出てからも役にたちます。
学校に行く一般人がみんなと同じことをしている間に、あなたは膨大な時間を自分の為だけに使えます。
あなたは学校に行く人より勉強がしたければ、学校に行く人間より圧倒的に学力が高めることができます。
ここで私からのアドバイスは惰性で日々を過ごさないことです。
夢を見つけて、それに向かってゆくだけ。
私は泣きながら毎日寝ていました。2~3日くらいだったけれど。深く印象に残っています。
親御さんに伝えたいこと
最大の親孝行は親の存在を超えてゆくことだと思います。
これは難しい事じゃなくて、意識せず、普通に超えていると思います。
「心配をするな」なんて甘い言葉は言いません、
そういう生き物でそういう風にデザインされている我々人間は、意識せず、言葉を発さずとも自然とプレッシャーを与えています。
親がやるべきことは、子供の意見ややりたいことを肯定、否定することとでもなく、
ただ応援して親として見守っているだけでいいと思います。
心配という形でのプレッシャーではなく期待としてのプレッシャー、子供本人がやりたいことになら期待してもいいです。
あとがき
学校の古くさい制度、システムは若い人間が変えていかないと拍車が掛かるでしょう。
日本人は比べることが大好きです。あの子と比べて点数が低いだの、その枠でしか器を測れないから学力レベルが下から数えるレベルなんですが
私が今でも学校が嫌いな理由
- 名前順で最後尾に並ばせられる
- 牛乳飲み飲みの文化強制
- 先生という綻びのあるシステム
- 席替えという運ゲー
私が学校に行かなかった主な理由(体験談)
- 生徒が嫌い
- 先生が嫌い
- 効率が悪い
- システムが嫌い
- 教科書が重い
- 牛乳が嫌い
- 給食が嫌い
- 授業が嫌い
- 生徒が不良しかいない
- 行く意味を見い出せない
- 自分のためにならないと感じた
主に一番の理由は、学校が変わって給食が激マズだったこと。
それ以外はぶっちゃけどうでもいいかも。
提唱
義務教育を推奨教育に改定
保育園幼稚園までを推奨教育にし
小学校 中学校 高校 大学 大学院 すべてを統合し一つの学舎にする。
教科書をすべて廃棄し学びに必要な本を作成
すべての学術本はすべての家庭にチラシ広告と同価値で配布される。
すべての先生はAIに置き換え、アドバイザーとして仕事をしてもらう。
新しい「考え」を考えなければいけないのに過去の「考え」に縛られる必要がない。
教育法の概要
昭和二二年(西暦1947年)学校教育法 法律により制定
学校の「校」という字、校正、将校、
学校=
みんなと同じことをするみんなと同じように正される、みんなと同じすることをする場所
超越した才能も平均レベルに合わせなきゃいけない場所
学舎=
学び自由に伸びるための場所
実際にボクのイメージだと「がっこう」って聞くと良いイメージが沸かない、もう「がっこう」というニュアンス自体が腐り始めている。
「学舎まなびや」「学問所がくもんじょ」なんかお嬢様っぽくて良くない?
ゆとり教育とかスパルタ教育とか、ニュアンスだけで流行ったこの言葉たち。私から言うことは
「自動学習」「自然教育」「教師AI」
学習するつもりもなく気がついたら既に学習していること。
これが自然でいい。
だいたいボクの感が当たらなかったことはない、結構てきとうに言ってるけど全部当たるから。
私が生きている世界ぐらい私が創造する。
いや、ストレス溜めた結果銃乱射はやべえっしょww
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